ぼくはナイキ、高市の里に平成27年から2年間住んでいたご主人Hのお気に入りのズボンだ。

僕の製造元は4年程前に破産。

その際にママさんが僕の仲間と共に買い占めてくれたいわゆるシャカパンだ。
でも僕はただのシャカパンじゃない。

買い占めたもらった仲間は上下20着くらいいたが、主人の一番のお気に入りは当然僕。
青いし肌触りもいいし、何よりラインがかっこいい。

Hは毎日僕をはいて電車で街の小学校に通っていた。
Hの友達も僕をかっこいいと言ってくれて僕はちょっと嬉しかった。

 

Hが2年生の時、3年生から山村留学に行くといった。
「山村留学?」なんだそれは?初めて聞いた。

ママさんが話すのを聞いたけどどうやら高市小学校という山奥の学校に1年間通って大自然の中で寄宿舎暮らしをするらしい。
洗濯も自分でするんだって。

おいおい、やめとけやめとけ。Hにそんなことできるわけがない。引っ込み思案だし野生児タイプでもないのになんで山だよ?
それに洗濯なんかHにしてもらうなんて二度とごめんだ。
以前にママさんに頼まれてHは僕を洗濯物干し場に干してくれたことがあったけど、僕をちゃんと留めてくれなかったので風で地面に落ちて猫におしっこされたんだ。僕の人生史上最悪のあんな思いは二度とごめんだ。

 それに学校の友達やおばあちゃんまで
H君は何かあったのか?街の学校から山に行くなんていじめでもあったのか?山の学校なんかに行ったら塾もないし勉強遅れるよ。ああいうところは学校で何か問題がある子が行くところよ」
って勘ぐったり心配したりした。
いくらなんでも言い過ぎだ。
街の連中はすぐに自分の価値観で人を見ようとするんだな。

でもママさんは無責任な人の言うことは聞かず着々と留学手続きを進めた。
後で知ったけどママさんは実際に高市山村留学に行ったテニス仲間に高市山村留学の本当の姿を聞いて実際に見に行って「多くの人がもっているであろう山村留学への重大な誤解」が解けていたらしい。

そして僕の密かな反対を余所にHは荷造りを始めた。当然僕も一緒に山に行くらしい。
いやだなぁ・・・。でもH一人で山に行かせるわけにもいかない。しぶしぶ僕も同行だ。

 

行ってみると高市というところは本当に山奥だった。
でも松山市内から車で1時間弱なんだから病院も近いし、
いざとなったらママさんも迎えに来てくれるに違いない。

 


4 

僕は小さなベッド下の収納に入れられた。
一人1か所らしく、同じ部屋にはパンツやハンカチまで一緒に入った。
最初はうまくやれるか心配だった。だって僕は今まで同じ「シャカパン」としか暮らしたことなかったからだ。
でもたまに洗濯機のなかで会うことはあっても接点のなかったハンカチさんや赤白帽子クンとも仲良くなった。
赤白帽子クンとは最初は些細なことでぶつかり合ったりイライラしたりしたけど、そんなことしてたらお互い生地が擦れて1年間やってられないことに気が付いてからは喧嘩も減って今では一番の仲良しだ。
どうやら赤白帽子クンとの出会いで気が付いたけど僕は何も特別ではなくただのシャカパンだったらしい。気が付いた時に赤白帽子くんと笑った。
心配していた洗濯もみんなで協力して班ごとでやるのでHはすぐに上達した。僕は自分に猫のおしっこがかかるなんて心配していたのが遠い昔のようだ。

しかしHのクラスはHを入れて同学年2人、上級生2人合わせて4人の複式学級で担任の先生は声も体も大きいし、なんだか怖い・・・。
初めての男の先生がこんな大きな先生だなんてHはちょっと運が悪い。
大丈夫だろうか。Hもなんだかビビッているし。
しかも34年の複式なんてちょっと損した気分だ。

 

5 

家族が「子どもの日まつり」で会いに来てくれた。
Hは鼻を膨らまして嬉しそうだ。実に1か月ぶりの再会だ。
その日は体操服なので僕はHの雄姿を見ることができなかったが、センターのタンスの中まで聞こえてきた谷間に響く大きな目当て発表を聞いて感動した。
そうだ、Hは引っ込み思案なんかじゃなかったんだ。これは僕と家族だけが知っているHの姿だ。
小さな高市小学校でみんなと家族になって安心して自分を表現していいんだと気づいたんだ。
後で赤白帽子クンから聞いた話ではHは赤白帽子クンがびっしょりになるくらい汗をたくさんかいて勝ち負けにとことんこだわって頑張ったらしい。
運動会で汗をかいたあとも高市地域の方の心のこもった手作りのお接待の釜揚げうどんをたくさんごちそうになってまた汗をかいたらしい。
今日の汗はいいなぁって赤白帽子クンは嬉しそうに洗濯機に入っていった。
以前の僕なら赤白帽子クンの話を「自慢」に聞こえていたと思うが、今の僕は違う。赤白帽子クンは赤白帽子クンにしかできないことをした、嬉しかったことを僕にも共有してくれた。
僕は自分のことのように嬉しかった。

 

6 

田植え、ます釣り・ホタル祭りで2週連続家族に会えてHも嬉しそう。
パパさんは地下足袋持参で張り切って子ども達と一緒に田植えをしてくれた。
少しゆとりがでてきた僕たちは、田植えでは靴下くんが初めての泥の感触にびっくりしたとか、Tシャツちゃんは初めて生きた魚に触れたとみんなそれぞれに楽しい初めての体験に盛り上がった。
ぼくは、ほたるが部屋の中まで入ってきたのに感動した。

すっかり高市の里に慣れたように見えたHだがそんなある日、僕の上に水がぽたぽたと落ちた。
梅雨の雨かな?見上げてみるとHが泣いている。どうしたんだろう。
最近慣れてきたと思っていたのに、、、。
Hはママさんに会いたくて会いたくて一人で声を殺して泣いていた。僕は黙って涙を受け止めるしかない日が続いた。
ある日とうとうママさんに会いたいあまりHはうそをついた。
「僕はいじめられている」って。
おいおい、やばいよ、気持ちは分かるけどいじめなんて言ったらいまどきの学校は大騒ぎだよ。
余計にママさん心配するよ、やめとけって・・・。

案の定、学校もセンターもすぐに大騒ぎになった。

一度ついた嘘を収拾するのにセンターや学校たくさんの人に迷惑をかけた。
でも周りの大人は嘘がばれた後も、嘘をついてまでお母さんに会いたかったHの気持ちにとことん寄り添ってくれた。
高市の人たちはどんなHでも受け止めてくれた。
一緒に一生懸命考えてくれた。
Hは「信頼できる大人との出会い」でひとつ山を越えたようだ。
怖いと思っていた担任の先生ともいい感じになってきた。

 

7

 いよいよ夏休みまで指折り数えれるようになった。
Hはカレンダーに「あと〇日」てってカウントしていった。
ここにきて僕は計画帳クンに少人数っていいんだよって聞いた。
以前のHは計画帳なんて時間もないしでたらめな字で書いていて、担任の先生も30人もいるからろくすっぽ見ないでスタンプを押す程度、計画帳クンはそれが当たり前だと思っていたらしい。
でも高市の先生は違う。
計画帳の漢字の留めやはね・バランスまでチェックしてHの字を何度も書き直させる、どうしてダメなのかHに考えさせてくれる、うまくできたら赤い筆で大きな花丸をくれる。
たまに涙で計画帳クンが濡れることもあったみたいだけど、おかげでとてもきれいに書いてもらえるようになったと計画帳クンは喜んでいた。
そうか、少人数って一人ひとりに丁寧に向き合えるんだね。
大人数で切磋琢磨する学校もいい、少人数で丁寧に見てもらえるのもいい。
どちらが優れているという話ではなく、Hには少人数があっているって計画帳くんは教えてくれた。
何より自分やHが大切にされて嬉しいんだって。

 

8

 夏休みだ。僕はHと一緒に3月まで通っていた教室の夏休みのお勉強プログラムに参加した。
中の下だったHの文字や学力や大きく伸びている。
これはどうしたことか?
複式って授業が半分になると思っていたのはどうやら僕の勘違いだったらしい。
複式は密度が倍なんだ。
3年は4年の予習ができるし4年は3年の復習ができる。
しかも、4年の授業をしている間に3年は直前の課題をやっつけるので集中力も桁違いに伸びた。
すごいな複式。
教室の先生にも褒めてもらえて僕まで鼻高々だ。

しかもHは生まれて初めて自由研究にチャレンジした。温度・湿度・標高・気圧を変えてお風呂の中から富士山山頂まであらゆるところでピンポン玉とスーパーボールの跳ねる高さの違いを分析した。
こんなチャレンジをやろうと思いつくこと、実験をやりきること、それをまとめること、どれも初めてだ。


さらにHの地元の友達に夏休みに再会した時に
「おいて行かれるのも違う世界に行くみたいで寂しいんだよ」って聞いた。
Hは初めて友達の想いに気が付いたようだ。
寂しいのはHだけじゃないんだね。


 そうこうしていると寄宿舎に帰る日が近づいてきた。
Hはイヤだなぁ、もう2学期で転校したなぁってぼやいた。
でも行くことが自分にとってなにかしらのプラスになる予感がしたのか?831日にはあっさりと高市に帰った。
もちろん僕も一緒だ。
僕は高市での暮らしがもしかしたらちょっと面白いんじゃない?って思い始めていた。
Hも同じ気持ちだったような気がする。

 

9

 僕に危機が訪れた。
高市での暮らしに慣れて野山を駆けまわったり乾燥機にかけられたりしているうちに僕自身が擦れて破れやすくなっていたらしい。
僕の膝は大きく破れた。
もしかして捨てられる?そんな予感が頭をよぎった。
でも一緒に高市に来た友達のシャカパンもどんどん破れていったのを見たママさんが「高市で暮らすのにズボンが破れるたびに買い替えていたらきりがない」って、僕たちはそのまま使ってもらえることになった。
ママさんはたまにきて繕ってくれたりしたけど、破れるほうが間に合わない。
ママさんはユニ〇ロデビューをした。
僕も最初びっくりしたけどユニ〇ロはなかなかいいやつで、僕よりずいぶん安いのに僕より強くてかっこいい。僕もずいぶん助けられた。

破れたままでもひざ小僧クンに「破れていたおかげで高市でたくさんの生き物が見れた。日本トカゲやアサギマダラは可愛い。」と喜んでもらえた。
えへ、破れっぱなしも悪くない。

 

10

 地域のお祭りがあるとかで夜になるとHは集会所に行って高市地域のおじさんに「しゃんぎり」というのを教えてもらいだした。
へぇ、こんな伝統芸能を受け継いで毎年毎年真っ新の留学生教えてくれるんだ、高市の里は本当に留学生や伝統芸能を大切にしていてすごいなぁ。
お祭りの日は地域の方がかっこいい袴を着せてくれた。
後でインナーになっていた体操服クンに聞いた話だと袴や被り物などすべて地域の方々が昔から大切に保存している衣装を用意して下さって着付けまで丁寧にしてくださったそうだ。
そしてきりっと決まったHは高森三嶋神社から誇らしげに太鼓をたたいて高市の里を練り歩いたらしい。
高市の谷間に響いたHの太鼓の様子は愛媛新聞にも掲載されて離れて住むおじいちゃん・おばあちゃんも喜んでくれたとママさんが言っていた。
何より体操服クンが「前の学校ではこんなお祭りはもう親子とも参加しなくて大切にしてもらえないんだよ。僕も高市に来てよかった」って言っていた。


 福祉フェスタやみんなで頑張った石鎚登山なんかもあってとても充実した10月、Hはバザーで「継続したい」って言い出した。
僕も高市がすっかり好きになったから喜んであと1年付き合おうと思った。

でも広田地区では小学校が統廃合するかも?という噂が聞こえてきた。
噂を聞いた留学生保護者がN田パパを中心に有志で高市小学校を守るためのブログ「高市山村日記」を立ち上げた。
僕は破れているから写真に写ったらちょっと恥ずかしいかな?って思ってたけど、「ありのままの高市山村留学の魅力を伝えるために発信する。ここは日本一の山村留学。この素晴らしい小学校教育の選択肢があることをたくさんの人に知ってもらう」と記者の保護者有志が熱い思いを持っているのを知って「ありのまま」なら破れていてもブログに載ってもいいかな、って思った。

 地元愛媛の保護者だけでなくEちゃんママは東京で、Y輝ママは福岡や高松で、S君ママはブロガーのイケダハヤト氏に直談判して高市山村日記をアピールしてくれた。できる人ができる方法でできる時にそれぞれ頑張りはじめた。

 

11 

なんと愛媛の11月なのに初雪が降って高市の里は真っ白になった。
僕は雪というのはスキー場にしか降らないものだと思っていたので嬉しかった。
留学生や地元のKちゃん姉妹も大喜びで学校が終わったらセンター前の坂でそり遊びをするんだ!とはしゃいでいた。
この日は残念ながら学校が終わった時には雪が融けてしまったけど、その時の唯一の女の子のEちゃんがかわいい雪だるまを作ってくれた。
このころからしょっちゅう雪が降って僕はヒートテック君とペアになるようになった。
Hの外遊びはますます激しく僕より内側に履いてもらっているヒートテック君も破れるようになった。ママさんは「ここまで服が破壊されるくらい遊んでくれて嬉しい。ここまできたらユ〇クロでも勿体ない」と喜んでいる。
いい気なもんだ。僕は捨てられやしないかハラハラしているのに。
でも僕が破れるおかげでHが怪我しないならそれも幸せかもしれないなんて思ったりした。

 

12

 冬休みに入って新聞で「高市小学校閉校」を知った僕。
噂は聞いていたけど噂レベルだったからまだもっとずっと先だと誰しも思っていた。現役の児童のシャカパンなのに新聞で母校の閉校を知るのはショックだった。
それはママさんやH、他の留学生保護者も同じで、それから何とか閉校を阻止できないかと保護者有志は頑張った。


僕はただのシャカパンだけど、僕にも夢があってHの弟のAクンが大きくなったら一緒に高市小学校に行くことだ。


僕はただのシャカパンだけど、この教育システムが失われることが未来の子ども達にとってどんなに大きな損失かは理解できた。


僕はただのシャカパンだから勘違いしていた。
本当に最悪の出来事は猫におしっこをかけられることなんかじゃない。
自分達の将来を決める話合いのテーブルにすらつけないことだ。
このもどかしさ悔しさ無念さを消化するまでにはずいぶん時間がかかった。


今でも考えている、僕はどんなシャカパンだったら話し合いの仲間に入れてもらえたんだろうか…。

 

1 

みんなすごく頑張ったけど閉校は免れないことがじわじわと見えてきたとき、Hの弟の今度1年生のAクンが「僕も留学する」と言い出した。
おいおい、Aクン、君は日本語もろくにできなし、マイペースだし、自分じゃ何もできないし、君こそやめとけと僕は思った。
それとは逆にHは留学を継続せずにママさんのところに帰ると言い出した。
以前は行くって言っていたのになんで継続を辞めたんだろう。僕はなんとなく心当たりがあった。


そして本格的な冬、高市の雪は面白くて僕はヒートテック君と一緒にたくさんの雪遊びをした。
学校では先生方も一緒になってかまくらも作った。
センター長は高市の山の中からそり遊びが安全にできる場所を探してくれて、平日だろうと夜だろうと(宿題が終わっていたら)そり遊びに連れて行ってくれた。
それはそれは楽しかった。

「今年も雪が降ってよかった。みんながせっかく高市に来てくれているから雪遊びができないとね」
って地元のKほちゃんが言った。
毎年新しい留学生を迎えている地元Kちゃん姉妹は気分はすっかり「おもてなし」なんだね。

 

2 

学習発表会 以前のHからは想像もできないようなびっくりするような堂々として素晴らしい演技、自信にあふれた元気のよい歌声、1年間の集大成だ。
先生方はHの持っていた力を引き出してくれてみんなの個性の集まった踊りや演技を指導してくださったし、地域の方々は猪鍋のお接待はもちろん自ら舞台に上がってみんなで一体となって楽しんだ。
ママさんはオヤジのヅラまでかぶっておっさんになりきった(あ、もともとおっさんか)

地域と学校と保護者が一体となったここまでの学習発表会はなかなか見れるもんじゃない。
僕も密かにHをサポートしてきたつもりだけど、先生、地域、センター職員の方々には到底及ばない。
ここまで育ててもらえたことにただただ感動した。

 発表会が終わってもHは来年度はママさんのところに帰ると言っていた。
パパさんもママさんもできれば継続してもらいたみたいだった。
僕はただのシャカパンだけどずっと一緒だったからHの迷いも頑張りもわかる。
来年から高学年で6年生のいない最後の高市小学校を引っ張っていく自信がないんだよね。
わかるよ・・・。

そんな時、担任の先生がHの話を聞いてくれた。
Hは先生に気持ちを吐露した。
最初はただただ怖かった担任の先生も今ではすっかり自分の味方だと感じているようだ。
「自信はなくてもチャレンジができるのが高市小学校、すぐに完全なリーダーはできなくてもいい。来年度頑張って学校を引っ張る練習をすることでまた一回り大きくなって元の小学校に帰れるんじゃないか」
先生はおっしゃった。
そうだね、チャレンジしてどんな結果になってもフォローして下さる先生方や友達がいる。
この温かい高市なら自分の可能性にチャレンジできる。
そう思ったHは留学の継続を決断してその晩ママさんに電話をした。
ママさんの答えは「もちろんYES!」

 

3

 まわりにシャカパンしかいなかった僕の視野も高市に来ていろんな衣類たちと出会ってずいぶん広がった。
が、ついにお別れのときが来た。
僕は1年間一緒にやってきた家族みたいな友達や、いつも僕を優しく洗ったり畳んだりしてくれたセンター職員さん何より高市小学校と離れるのが寂しかった。
Hも同じだろう。
でもメンバーが変わっても後1年高市小学校に通えるという担保は僕の寂しさを少し和らげてくれた。


そして高市小学校最後の卒業式、
Hは高熱の中頑張って役割を果たしたとブレザー君が教えてくれた。

よく山村留学に行くと「成長する」とか「自立する」とかいうけど、高市はみんなが持っている心のそこで眠っていた自尊心や責任感がにょきにょきと成長するための栄養がたっぷりと注がれるだけでその子自身が劇的に変わる特効薬ではないと思う。

 


2年目
さて、H2年目の春、今度は弟のA君も一緒だ。
A君は後で聞いた話だと
「大好きな高市小学校に通えなくなるのはイヤだ。」
と最後の高市小学校の新入生になる決意をしていたらしい。
何もわからないと思っていたのは僕だけでA君はしっかり考えていたそうだ。

 

僕をA君が履いて高市小学校に通う夢はかなわなかったけど、HA君・僕でまた高市の春がスタートだ。
年度の最初に地元のKちゃんママが「高市小学校の最後の1年を笑顔で終わらせたい」と一生懸命語ってくれた。
センター長は慣れないのに子ども達が寝た後に睡眠時間を削ってブログを更新してくれた。
N田パパはセンター兄貴としてがっつり僕たちと遊んでくれたり、次々と新しいオリジナルジャージや上着などをデザインしたり、得意分野の自転車で高市山村をPRしていった。


 
Hはセンターで初めて班長になった。
最初Hは班員を怒鳴っていうことをきかそうとしたり、偉そうにしてみたり、、、言わんこっちゃないっていう失敗をたくさんした。
 当然、学校やセンターでも友達に受け入れてもらえず、もがき苦しみ自分の立ち位置を考えた。
Hは失敗を経て学んだようだ。
2か月もたつとクラスをまとめられるようになった。
僕も安心した。これからはもう大丈夫。

弟のA君ものびのびと高市の暮らしを楽しんだ。
 心配していた学校生活も「いくらなんでも優しすぎる」と他の学年からヤキモチが出るくらい優しく丁寧なオトちゃん先生と可愛い2人の同級生にしっかりサポートしてもらったようだ。
日本語もろくにできなかったA君は学校では本当に丁寧にきれいな日本語を教えてもらい、
センターでは小学校1年生なら誰しも知っている下ネタを教えてもらい、
めきめきと日本語が上達。
その結果わずか半年で読書感想文コンクールで優秀賞をいただいた。
プリスクール出身で飽き性のA君がここに至るまで高市の先生方はどれほど指導してくださったのだろうか想像は難しくない。

 

2年目もいい出会いばかりで幸せな2年間はあっという間に過ぎた。

 


3回目の春
高市小学校は閉校した。


 

こけこっこー先生率いる七人の侍先生方は子ども達がそれぞれの子どものペースで心から高市小学校とお別れして次に羽ばたけるように様々なプログラムを用意して下さった。


閉校式では閉校記念実行委員長の区長さんが「さよならは言いたくありません」とあいさつした。みんな同じ気持ちだったと思う。

 

そして新しい広田小学校の開校式、

新生広田小学校は閉校する高市・広田・玉谷3つの小学校のいいところをがっちゃんしたいい学校になるらしい。
どうか未来の子ども達のためにも、広田の未来のためにも、必ず日本一の素晴らしい学校になってほしい。

 

2年の山村留学を終え、Hも僕もママさんの元に帰った。
僕はすっかりボロボロで小さくなった。
いや、Hが大きくなったのか。

 

元いた小学校に戻った日、友達が「あ!H君が帰ってきた!!」と先に見つけて声をかけてくれた。
Hはずっと不安だったんだ。
元の学校の友達に受け入れてもらえるのか、そもそも忘れられていないのか…。
不安が飛んだ瞬間だった。
ただ、過半数が中学受験予備校に通う学校に戻ったHは正直苦労している。
5年生でありながらクラスメイトのほとんどは5年生のカリキュラムをほぼ終えている。
Hは毎日パパさんと1時間勉強することになった。


 でも本当の学力は机上での「算数」や「国語」だろうか。
僕は高市での暮らしで耕された心や経験があれば本当の意味での学力はすくすくと育つと思っているから実はあまり心配していない。

 

新学期が始まったある日、ボロボロの僕をHが履いて行った。
あんまりにボロボロだったのでついにおしりが破れた。
もともと破れていた膝の布を切ってHはテープで張って応急処置をしてくれた。

その日の夜、「お母さん、これもう捨てようよ」とHが言った。
いよいよお別れのときが来た。
するとママさんが僕と全く同じデザインのサイズ違いを出してきた。タンスの中で眠っていた僕のお兄ちゃんだ。

Hは喜んでさっそくその翌日から僕のお兄ちゃんをはくようになった。
お兄ちゃんがいてくれたおかげでHが寂しい思いをしなくて良かった。

僕は高市に行く前に自分は「かっこいい」だけで特別だと思っていたけど、友達の赤白帽子クンは地味だけどHを紫外線から守ってくれたり運動会の時には紅組になれたり白組になれたりとしなやかだ。
友達との距離が近い分、友達の色々な面を見て認めて見習えるようになった。

僕はもうただのかっこいいだけのシャカパンじゃない。
普通のズボンなら行かせてもらえない高市で2年間暮らせて、普通に街中にいたら絶対体験できないようなわくわくする出来事をたくさんHと一緒に経験しHと一緒に泣いて笑ってきたんだから。